2013年9月1日日曜日

2度目の反省記。(ベトナム滞在57日目)







書こうか書くまいか迷ったけれど
違う話題を楽しく書くのも嘘になるし
かといって空白にしてしまうのも違う気がするし
自己満足になってしまうけれど、書き留めておこう。













さて、人間とは、というかがんでぃーという人間は愚かなもので
結局は自分がかわいい生き物なのでありまして。
22年間生きてきた今でも物事に対するうまい対処法がまだまだ身についていません。











部活で後輩たちに偉そうに指導してきたり
先輩にだって自分が納得できるまで噛み付いて来たり
(部活の仲間には感謝してもしきれない・・・)








そんなめちゃくちゃな性格だったがんでぃーも
今ではいろいろな出来事が重なると自分で処理できなくなって
人に頼ってしまいたくなって甘えてしまいたくなって
頑張りどころを間違えて周りに心配や迷惑をかけて
頭の中を整理しようと試みるも
今度は考えることを拒否し始めて逃げたくなっている。



















チョイオーイ!!!
どうなってんねん!!!














とにかく、何が言いたいかというと
誰にだって弱い部分があって、ずるい部分があって
それは20歳だろうと40歳だろうと60歳だろうとみんな一緒なんだって
やっと今日気付いたということ。




年上だからどう、とか年下だからこう、とかそんなんじゃなくって
もっとその人自身を見て、受け止めて、関係を築くほうがずっと大事。
ということを思い知りました。









それから、偉大なるマハトマガンジー様から由来しているがんでぃーの私でも
人並み、またはそれ以上の欲求があって、こうしたいああなりたいって思うことがあって、






最近その欲求に対して素直になることにしんどくなって
隠していた方が楽なんだって思うようになってしまった、ということ。
その一方で、違うところで思いをぶちまけてしまう場面がでてきてしまった、ということ。









誰かとぶつかり合うことが怖くて、我慢してすむのなら我慢してしまえばいいんだと。
もちろん我慢が必要な部分もあって、きっと社会に出たら我慢の連続なんだと思う。
でもそれは仕事の面での話であって、
そうじゃない人間関係の部分だったり、生活の面だったり、
そういうところで実は私は心を開いていなかったんじゃないかって
猫かぶって、たまに辛くなってちょっと本音いって、また猫かぶって
の繰り返しをしてきたんじゃないかって。




その反動で、ひたすら甘えることに徹している自分がいたのも事実で。














おーおーおー
なにしてんだ自分







って思った、そんな1日だったのであります。














でもね、日本にいる石渡パパとSkypeしたらそんなもやもやたちが少し軽減されました。












石渡パパ、ありがとう。
休みの日なのにお仕事お疲れ様です。




ここぞというときに登場してくれる石渡パパ。
心強い以外のなにものでもない。最強です。














結論、
傷つけてしまったことに対する責任はもちろん忘れてはいけなくて、
自分の傷なんかちっぽけなんだってこと、
どんなに自分がかわいくたって
人を思いやる気持ちだけは忘れちゃいけないこと。
自分の軽率な行動に対しての反省の気持ちも。











いろんな人の支えがあって、いま私がここにいること。





1番基本のことを忘れていたようです。
でも気付けて良かった。










たくさんのありがとうとたくさんのごめんなさい。




















と、読み返したらまあ、なんとまとまりのない文章。

でも、これが現実です。







さーて、そろそろラマダンも終わりにしないとね!
みっちーとフードファイトできるのは私しかいない。
ふふふ。空芯菜でもコムハイサンでもなんでもかかってこい!









よし。再スタートだ。





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